【 中国のある寺で法会が設けられ、いろいろな遊戯が催されていた。
 その中で、10歳くらいの子どもが、高い竿の先で軽業をしていた。ところが、突然そこへ鷹のようなものが飛んで来て、その子どもをさらって飛び去ってしまった。
 群集も驚き、催しは中止されたが、子どもの行方が知れない。八方手をつくして探したが、依然として見つからなかった。
 数日経ったある日、その子どもが高い塔の上にいるのを両親が見つけて救い出した。
 しかし、子どもはすでに痴呆の状態で、どうしたのかと聞いてもまったく通じなかった。
 さらに数ヵ月経って子どもの具合がよくなった頃もう一度たずねてみると、寺の壁画にあるような〈飛天夜叉〉のようなものに連れて行かれ、毎日養ってもらっていたという。
 どこから来たのか、その〈飛天夜叉〉は明かさなかったが、ただ毎日食事を与えられて大切に扱ってくれたという。
 両親は心配したが、子どもはさらに10日ばかり過ぎると、すっかり元気をとり戻した。
 一説によると、〈飛天夜叉〉というのは、形はこうもりに似て、頭は驢馬、翼はムシロを広げたように大きいという。
 ある男が、この〈飛天夜叉〉が瓜畑で瓜に食らいついているのを目撃したことがあったが、その余りにも恐ろしい形相に恐怖感を覚え、腰を抜かさんばかりに逃げ帰ったという。
 ふつう〈夜叉〉というと、里に現れる鬼のような妖怪だが、この〈夜叉〉は翼をもち、飛べることから《飛天》という言葉がついたのであろう。】(『水木しげるの中国妖怪事典』)

 中国で〈夜叉〉といえば、凶悪で獰猛にして疾風迅雷、鋭い牙や爪をもって人を食い殺す恐ろしい悪鬼である。この〈夜叉〉がさらに能力を増し、空を自在に飛行するようになったものが〈飛天夜叉〉とよばれる。〈飛天夜叉〉はその長けた能力から、悪鬼の頂点に位置するものとも考えられた。〈僵尸(きょうし)〉なども、長い時を経ると〈飛天夜叉〉に変じ、雷以外では倒せなくなるといわれている(〈僵尸〉の項参照)。
 もっとも、〈夜叉〉は悪鬼の類の総称として使われることも多く、人々は、空を飛ぶ悪鬼がいれば「あれは〈飛天夜叉〉だ。」と、ある意味で勝手に決めつけてきたようである。
 澤田瑞穂著『中国の伝承と説話』によれば、『水木しげるの中国妖怪事典』の話は『太平広記_巻356』「章仇兼瓊」が『尚書故実』から引用して紹介しているもののようである。この話が発展したものが、〈夜叉〉の項でも紹介している少女を塔中に幽閉する話であるらしい(〈夜叉〉の項参照)。
 また、瓜畑でこうもりに似た〈飛天夜叉〉を見たという話は、宋代の『夷堅志_甲志巻19』「飛天夜叉」にある。時の丞相の夫人である郭氏の甥、郭大という者が真夏の月夜に見たもので、彼が後日に神祠に入ると、このときの〈飛天夜叉〉の壁画があったという。
 明代の『獪園』にも「飛天女夜叉」の条があり、ここでは一陣の怪風とともに〈女夜叉〉が輿入れ途上にあった花嫁をさらい、代わりに自分が輿に乗り込んでいる。そのことに誰も気づかずに婚礼が行われ、初夜が明けるが昼になっても新郎新婦が起きてこないので中を覗くと、そこにはざんばら髪に裸の化け物が血塗れになりながら骨をかじっているのが見えた。新郎の体は、すでに足先を残すのみである。一家のものが驚き騒ぐと、ふたたび一陣の旋風が吹き、化け物は異形に変じて跳び出していった。花嫁は山中の洞穴から救出されたが、やはり茫然とした様子で、さらわれて以降のことは覚えていなかったという。

[文献データ]
『水木しげるの中国妖怪事典』p.192

『酉陽雑俎_2』
『鬼趣談義』
『中国の伝承と説話』