【 富山県西部の砺波地方では、ある家が急に財産ができて裕福になると、あの家は《ヒンナ》を祀っているからだと噂したそうである。
 ヒンナとはこの地方では人形という意味の言葉である。〈人形神〉という憑きものは、墓場にある土をもってきて、3年のあいだに3000人の人に踏まれるように置き、その踏まれた土で作った人形のことをいう。
 また、3寸(約9センチメートル)ほどの〈人形神〉を、1000個作り、それを鍋に入れて煮ると、その中の1個だけが浮かび上がるという。それを《コチョボ》とよび、その中には1000の霊がこもっているとする。
 そしてこの《コチョボ》を祀ると、何でも思いのままに願いごとがかない、身上(しんしょう)が上がる(財産ができ裕福になる)そうである。
 ところがその代償に、その人が寿命がきて死ぬときでも〈人形神〉が強力にとり憑いてどうしても離れないのである。しかもその人はついには地獄に落ちるという。 この〈人形神〉は、中世のころの陰陽師の秘術であった〈式神〉の一種によく似ている。〈式神〉は自然界の精霊を人形などにこめて使役するものであったが、〈人形神〉のように地獄までとり憑かれてしまうほど恐ろしいものではなかった。
 『宮川舎漫筆』には、「諺に、仏作りて魂を入れず、とはものの成就せざる譬えなり。さて、魂の入れると入れざるとは、細工人の精神にある。仏師や画工が一心に精神を込めれば、その霊をあらわす。ちなみに上野鐘楼堂(東京都台東区上野)の彫り物の竜は、夜な夜な出て池の水を飲んだ。また浅草の絵馬から出て、田畝の草を食ったというのも、昔語りとなったが、偽らざる真実である。」と記されている。
 仏師や画工が、その信心や善意識から、生きた人形や彫り物、画図を作れるというわけである。
 しかし〈人形神〉のように、欲望のために作った場合、邪悪な生命を得るというのも十分に頷ける。】(『憑物百怪』)

 〈人形神〉については、『民間伝承_通巻140号』の「砺波のヒンナ神」に詳しく書かれている。同書によれば、〈人形神〉は今から40〜50年ほど前(この小論が発表されたのが昭和24年であるから、明治年間ころか)までいわれていたらしい。また、人形の作り方についても詳しく、7つの村にある7つの墓場から土を持ってきて、その土を人の生き血でこねて自分の信じる神の形に作る。さらに人通りのよい場所に埋めて1000人もの人に踏ませたものと記述されている。
 〈人形神〉は、一度祀ると死んでも離れないとされているが、前出の「砺波のヒンナ神」には、この神を生きているうちに話したという話が載せられている。
 〈人形神〉を懐に入れて笠をかぶったまま川に入ると、〈人形神〉は苦しがって笠の上に上がってくる。そこを見計らって笠だけを流すと、〈人形神〉は下に主人がいるものと思って、どんどん流されてしまうという。
 しかし、これはあくまでも例外であり、この方法で必ず離れるとは限らないようである。
 また、「憑物百怪」の文中で〈コチョボ〉についての記述があるが、これについても「砺波のヒンナ神」に詳しい。同書によれば、〈コチョボ〉に用事をいいつけずにいると、「今度は何だ、今度は何だ。」と催促をするという。
 これなどは〈式神〉に近いものと思われるが、〈式神〉については別項目となるので、そちらを参照されたい。

[文献データ]
続日本妖怪大全_p.243
月刊ムー_1995年1月号_水木しげる「憑物百怪」
月刊ムー_1995年1月号_水木しげる「憑物百怪」/宮川舎漫筆

(コチョボ)月刊ムー_1995年1月号_水木しげる「憑物百怪」
(ヒンナ神)続日本妖怪大全_p.243
(ヒンナ神)続日本妖怪大全_p.243/宮川舎漫筆
(ヒンナ神)月刊ムー_1995年1月号_水木しげる「憑物百怪」

民間伝承_通巻140号_佐伯安一「砺波のヒンナ神」

(ヒンナ神)改訂綜合日本民俗語彙/民間伝承_通巻140号