【 江戸の番町に、青山主膳という1500石どりの旗本が住んでいた。その屋敷で召し使いをしていたお菊という16歳の少女が、主人の秘蔵する10枚揃いの南京焼の鱠皿(なますざら)1枚を、ふとしたはずみに手をすべらして割ってしまった。こまったことに、主人の青山主膳も奥方も殺伐な性格であったから、お菊のあやまるのも聞かず、右手の中指を1本根もとから切り取ってしまった。お菊はあまりの恐ろしさに気絶するが、ようやく朋輩の介抱で息を吹きかえした。
 主膳夫妻はそれでもあきたらず、2、3日中に手討ちにしようとして、縄でしばったうえ一室に閉じこめ食事もあたえなかった。すべてを知ったお菊は、わが身の始末はわが身でつけようと、しんしんとふける夜中、竹藪ぎわの井戸の中へ身を投げた。
 翌日、お菊の死体は発見されるが、公儀へは病死としてとどけておいた。ところが、恐ろしいことにその年の5月、奥方の生んだ男の子に右手の中指が1本不足していたという。
 それと前後して、お菊の変死ののち主膳の屋敷には、なんとなく陰鬱な空気がたちこめ、どこからともなく女のすすり泣く声が聞こえる。お菊が身を投げた井戸からは陰火が燃え、光り物が光り、やがて井戸の底から恐ろしげな女の声がして、「1つ、2つ、3つ、4つ、5つ、6つ、7つ、8つ、9つ……悲しやのう……。」と、1つ足りないのをなげき悲しんだ。召し使いたちは恐怖のあまり、われ先に暇を乞うて出ていってしまった。
 また、主膳が新参の家来を召しかかえようとしても、このうわさのために奉公するものもなく、うわさは町中にひろがり、やがて公儀にも聞こえて主膳はとがめられることになる。
 以上は『番町皿屋敷』の話であるが、このように井戸の中から陰火が出て皿の数を数えるのを〈皿数え〉という。】(『日本妖怪大全』)

 下女がお家に代々伝わる重宝の皿を割ってしまい(または濡れ衣をきせられ)、井戸に身を投げてしまう。それより夜な夜な、1枚、2枚……と皿を数える怪しい声が聞こえる……というのが、だいたいの筋であるが、この怪談は〈皿数え〉というより皿屋敷といったほうが一般にはわかりやすいであろう。
 この物語の舞台となる場所については諸説紛々(ふんぷん)で、大きく分けると江戸の番町(千代田区番町、麹町)説と播州(兵庫県)姫路説があるが、このほかにも島根県松江、石川県金沢、兵庫県尼崎、長崎県福江、埼玉県行田……などなど、地名をあげていたらキリがないほどである。ここではどれが本物か、という詮索はしないで、資料として残っているものをできるかぎり集めてみよう。
 物語の舞台を江戸にしている文献でもいろいろな説があり、先の番町説、牛込説、麹町説などがある。『雲錦随筆』という江戸時代の本によれば、番町ということになっている。それぞれの説をとっている文献を紹介しよう。
 江戸番町のあたりに、某という者が重宝の皿を所有して大切に所蔵していたが、「もし過ってこれを割ってしまう者があれば、生かしてはおかぬ。」というようなことを屋敷の中での掟としていた。あるとき、この家の主人は下女に手を出そうとしたが、自分の思うようにはならないことに腹をたて、わざと皿を1枚割って下女に濡れ衣をきせた。掟に従いこの下女を殺し、遺体を井戸に放りこんだのだが、それからというもの、夜な夜な下女の幽霊が現れて、さまざまな祟りをなしたという。
 寛保3年(1743)に成立した『諸国里人談』という本では、江戸では牛込説をとっている。
 正保(1644〜1647)の頃、ある武士の下女が、10枚ある皿の1枚を、過って井戸に落としてしまった。その罰として殺されてしまい、それより下女の幽霊が井戸のあたりに現れた。1枚、2枚……と9枚まで数えたところで泣き叫ぶという。
 『諸国里人談』では、古い井戸は江戸牛込御門(東京都新宿区牛込)の内にあるとし、雲州松江(島根県松江)にもこの井戸があり、播州(兵庫県姫路市)にもこの井戸があるとしている。これらの井戸にまつわる話はほとんど同じであるが、どれが本物であるかはわからない。 また、皿を割る幽霊はこじつけの話であると記している。
 播磨の国での話は、浄瑠璃『播州皿屋敷』という寛保元年(1741)に上演した脚本が有名で、この芝居が皿屋敷の話を広めるきっかけになったという。だいたいの筋は次のとおりである。
 姫路城主細川政元が、伝家の宝物である唐絵の皿を盗まれ、重臣である舟瀬三平が苦労してその皿を取り返した。ところが国家老の青山鉄山が、山名宗全とともに政元の毒殺を謀る。舟瀬の妻であるお菊がこのことを知ってしまい、そのため、鉄山は皿を1枚隠してお菊に濡れ衣をかぶせる。無実の罪をきせられたお菊は惨殺され、その遺体は井戸に投げ込まれた。それより後に、お菊の亡霊が現れることになり、その祟りに苦しめられる。
 このほかにもこの播州皿屋敷を扱った脚本があり、内容は多少異なっている。
 『本朝故事因縁集』という本には、松江の話が載っている。
 正保(1644〜1647)のころ、出雲(島根県出雲地方)の松江に、某という武士がいた。家には10枚1組の皿を秘蔵していたが、あるとき、下女が過って1枚を粉々にしてしまった。これを見たその武士は非常に腹をたて、下女を庭の井戸に突き落として殺してしまった。下女は浮かばれずに夜な夜な井戸から現れて、微かな美しい声を絞って、1枚、2枚、……と皿を数える。そして10を数えないでワッと泣きだすのである。このことを聞いたある僧侶が、下女の身を哀れんで成仏させようと訪れた。井戸の傍らで幽霊の出るのを待ち、1枚、2枚とはじまると、9枚といった瞬間に「10枚っ!」と叫んだ。するとその下女の幽霊は煙のように消えてしまい、それきり姿を見せることはなかったという。
 皿屋敷、または〈皿数え〉というからには、皿が重要なキーワードになるのだが、他の地方では皿とはいわずに、違うものを数えるとする話がある。『大語園_3』が引用する『郷土の伝承』には、つぎのような話がある。
 陸中国亘理駅(現在宮城県亘理郡)の西方に九枚莚という里がある。昔、ここにある武士がいて、その姑は常に嫁を憎んでいた。嫁のほうは自分の立場をよくわきまえていたので、世間からはよく褒められていた。ある日、姑は嫁に10枚の莚(むしろ)を与えて麦を乾燥しろと命じた。嫁は言われたとおりに仕事をしていたが、姑は嫁の目を盗んで莚を1枚隠してしまった。そうとは知らず、1枚足りないことを知った嫁は、その責任をとるために井戸に身を投げてしまった。それより毎夜、嫁の亡霊が現れて、莚を9枚敷いて、哀れな声で幾度も数え、1枚足りないことを恨めしそうに泣いた。それでここの土地は九枚莚とよばれるようになったという。
 民俗学者の宮田登によれば、この皿屋敷の皿とは、サラ地という意味でのサラであるという。サラ地は水はけが悪い低地で、大変に悪い土地だという。そこに屋敷を建てると長続きはしないという話があるそうである。その土地に建てられた屋敷が皿屋敷で、その悪い土地に伴うよくない話が、〈皿数え〉のような怪談のモデルになっているのではないかとしている。
 ちなみに鳥山石燕も皿屋敷の怪談をとりあげており、『今昔画図続百鬼』にて〈皿かぞへ〉として描き、兵庫県姫路での話を記している。

[文献データ]
ふるさとの妖怪考_p.106
水木しげるお化け絵文庫_6_p.18
霊界アドベンチャー_p.69
河出文庫_水木しげるの 妖怪文庫_3_p.136
日本妖怪大全_p.208

会津ふるさと夜話_2
怪談の世界
鳥山石燕・画図百鬼夜行
鳥山石燕・画図百鬼夜行/今昔画図続百鬼
近世土佐妖怪資料/皆山集「三安漫筆」
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