【 上州(群馬県)吾妻(あがつま)郡のある村の畑の中に、2間(約3.6メートル)ぐらいの三角形をした大きな石がある。この石は吾妻七つ石の1つで、〈囀(さえず)り石〉という有名なものである。
 昔、中国地方の人で、親の敵討ちのために諸国をたずね歩いていた男が、上州に足を入れ大道峠へさしかかったが、そのときはもう日もとっぷり暮れていた。四方を見わたしたが、人家らしいものもなく、やむなく野宿して一夜を明かすことにしたが、かっこうな〈囀り石〉がその寝床に選ばれたのであった。
 彼は石の上に茣蓙(ござ)を敷いてまもなく寝こんだが、真夜中に頭のあたりで人の声がするので目をさました。ところが、付近には人っ子一人いない。不思議に思って耳をすませて聞くと、その声はどうやら石の中から出ることがわかった。
 そこで石に耳をよせ、一生けんめい聞いてみると、石は自分が長い年月心にかけ、神仏に願かけてたずねまわっている敵人のことを語っている。なおよく聞いていると、敵人の今いるところまでも語ってくれた。
 これは、神仏が自分の志をあわれんで教えてくだされたのであろうと、手を合わせて、まだ夜の明けない山道をさっそく教えられたところへ向けて出かけた。そして、首尾よく不倶戴天(ふぐたいてん)の敵を討ったという。
 その後もこの石はしばしば人語を発した。それで〈囀り石〉と名づけられて、里人たちはその不思議さに恐れ、石の上に小さな祠を立てて〈囀り石の神〉と崇めていたが、ある年のある夜、通りかかった旅人が不意に石の囀りを聞き、おどろいて斬ってかかり、石の角を斬り落とした。それ以来二度と囀ることがなくなったという。
 山の中などで、そこにあるのが不似合いなような巨石を見たりすると、なんとなく、なにか秘密をかくしているのではないかという気持ちになるものである。】(『日本妖怪大全』)

 〈しゃべり石〉ともよばれるこの石は、群馬県吾妻郡伊参(いさま)村(現在中之条町)大道新田の畑の中にあったといわれる石で、『吾妻郡志』に載っている。
 現在でもこの石は残っており、その付近は囀り石(しゃべり石)という土地名になっている。
 この石には後日談があり、越後の人が切りつけた後、その切り取られた石は空を飛び、蟻川(中之条町内)の割石という所まで行ったという。この石は直径3メートルはあり、中央から2つに割れているそうである。
 〈囀り石〉に似た石は、長野県北安曇郡小谷村の大所にもある。よくものを言ったので、〈物岩〉とよばれていた。
 昔、山岸七兵衛という男が、〈管狐〉を使う何者かに命を狙われていた。その何者かに誘い出された七兵衛が、何も知らずにこの岩の傍を通ると、「今度行きゃ殺されるぞ。」と岩がしゃべった。このために、七兵衛は危うく命を落とさずにすんだという(〈クダ狐〉の項参照)。
 静岡県駿東郡鷹根村(現在地不明)では、宝永年間(1704〜1711)にあった大洪水のさい、「水出るぞ、急ぎ山に逃げよ。」と叫び渡る声があり、村人たちが急いで山に登ったところ、みるみるうちに村は濁流に流されていった。
 水が引いてから村へ戻ってみると、今までにはなかった大きな石が横たわっており、石の上には杖と沓(くつ)の跡のような窪みがあった。村人たちは、この石が洪水を知らせてくれたとして尊んだという。この石は〈呼ばわり石〉と言われていたそうである。
 このように人を助ける石というのは珍しくなく、探せば各地にある。
 これら言葉を発する石について『石の伝説』の著者石上堅は、元来は個人のために石がものを言うのではなく、村などの共同体に対して注意を呼びかけ、災害などを未然に防いだとしている。つまり、個人に対して言葉を発した〈囀り石〉よりも、静岡県駿東郡での例のほうが形式的には古いことを示唆している。
 また、太古の宗教においては、異質な形や色などの石や岩には神が降り立つと考え、その石、岩を通して神の声を聞くという儀式が行われていたようである。このような宗教的な意味が忘れ去られ、石、岩が言葉を発したという特異な部分だけが民間に伝承され続けた結果、〈囀り石〉や〈物岩〉という伝説ができたのではないだろうか。

[文献データ]
X文庫_水木しげるの妖怪図鑑_上_p.272
日本妖怪大全_p.199

(囀石)水木しげるの妖怪事典_p.158

石の伝説
幻想世界の住人たち_4_日本編

(物岩)日本伝説名彙/小谷口碑集
(物岩)日本伝説名彙/北安曇郡郷土誌稿_7
(囀石)大語園_4/上州の伝説
(囀石)旅と伝説_通巻93号_金子安平「奥上州の石に関する伝説」
(囀石)日本伝説名彙/吾妻郡誌