京都府船井郡の亀岡盆地には、はるか昔、今の琵琶湖のような大きな湖があり、大蛇がうようよとひそんでいたといわれる。そこで、黒柄(くろびら)山において「八柱の神」と相談した「出雲大神」は、
「あの浮田の峡(保津峡)を鍬で開削して水路を作り、山城国に水を流せば、広大な肥沃な土地が現われるだろう」
 と言ったという。その結果、現在のような平地が生まれたのだ。
 そういう理由から亀岡の人々は、「出雲大神」を、天降山(雨降山)の麓に社を建てて祀った。鍬を使用して峡を掘り開いたことから、〈鍬山大明神〉と呼んで崇めたといわれる。
 また、この開削に使用した鍬が山を成したことから、社を〈鍬山神社〉と名づけて祀ったとも伝えられており、この社は今も亀岡市上矢田町にひっそりと建っている。
〈鍬山大明神〉、つまり「出雲大神」は、神無月の出雲国での「神集」には出席せず、かわりに郡内にある8社がこの鍬山神社に会するのだという。というのも、この神がそもそも、出雲国の主神「大己貴命(おおなむちのみこと)」であるからで、郡内の8社とは、あの黒柄山で相談した8柱(8人)の神を祀っている、8つの神社のことだ。
 そのうち、大堰川が保津峡へそそぐ場所の右岸にある「桑田神社」は、8柱の神の1人「大山咋命(おおやまくいのみこと)」を祀る社で、古くから請田(浮田)大明神と呼ばれていた。この神は、〈鍬山大明神〉が鍬を象徴しているのに対して、鋤(すき)を象徴にしているといわれている。
 古墳時代の頃からさかんになった製鉄は鍬や鋤などを作り、これら農具の使用が、農地開墾に絶大な効果をもたらした。当時の人々が、農具そのものに特別な神霊が宿っていると感じたのは、当然だろう。
 昔は、「食べる」ということが大変なことだったはずだから、開墾して食物を増やすということは、大いなる神の業であったのであろう。