【 この〈いやみ〉は、仙台の城下によく出たという。
 ある日暮れ時、小僧が米屋に使いにやらされた。米を笊(ざる)に入れてもらって帰る道すがら、ふと見ると自分の前を若い女が歩いている。それを見ていると、どうもしばらく会わないでいる姉に似ている。そう思うとなつかしさがこみあげてきて、つい、
「姉ちゃ!」
と声をかけてしまった。
 女はふり向いた。すると、その顔は自分の姉とは似ても似つかぬ、いやらしい顔つきの爺であった。小僧はおどろいて笊を落とすと、ワアーッと泣きだしてしまった。
 これこそが〈いやみ〉で、これと同じような話が中国、山陰地方にもある。
 〈いやみ〉とはよくいったもので、われわれもときどき後ろ姿を見ると、ものすごいグラマーなので、美人まちがいなしと思って前にまわってみると、姿とは関係のない顔がくっついていておどろくことがよくある(まあ、女性が男性を見ても同じことがあると思うが……)。
 これが爺だったとしたら、だれだって尻もちをつくほどおどろくと思う。
 10年ばかり前、家族とドライブしていたところ、トイレに行きたくなり、ドライブインに入り家族一同トイレに行った。ところが、女性の一団で男性のトイレが満員になっている。おかしいと思って、前にまわってみると力強い男性ばかり、色が黒いのに、むりに白粉をつけているものだからマダラの顔であった。
 トイレの入り口でハッとしたが、それはオカマさんの一団だったのである。子供たちはよほどショックだったらしく、今でも、「あのドライブインのトイレ、すごかったなあ。」と言う。これも〈いやみ〉の一種かもしれない。】(『日本妖怪大全』)

 〈嫌味〉の話は、山田野理夫著『東北怪談の旅』によるもので、ほかに資料は見当たらない。本来この絵の妖怪は〈否哉(いやや)〉であり、鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』に描かれている。石燕の解説には【むかし、漢の東方朔(とうほうさく:漢の武帝の侍従をつとめ、その博識ぶりを買われて帝に重んぜられた)、あやしき虫をみて怪哉(かいさい:あやしきかなという意味)と名づけためしあり。今、この否哉もこれにならひて名付たるべし。】としかなく、具体的にどういう妖怪かは書かれていない。

[文献データ]
ふるさとの妖怪考_p.56
水木しげるの続妖怪事典_p.60
X文庫_水木しげるの妖怪図鑑_下_p.104
日本妖怪大全_p.52

(怪哉(かいさい))ふるさとの妖怪考_p.56

幻想世界の住人たち_4_日本編

(イヤミ)東北怪談の旅
(怪哉(くはいさい))鳥山石燕・画図百鬼夜行/小説
(否哉(いやや))鳥山石燕・画図百鬼夜行/今昔百鬼拾遺